最高のソーシャルゲームの話をしよう。

私は声豚である。いわゆる声優オタクというものだ。あまり声高に言いたくはない蔑称だが、実家が豚に関する家業なので自虐とは思わず積極的につかっていこうと思っている。私は豚に生かされているということを忘れてはいけない。

「スター声優育成アプリ」

そのコピーをはじめてきいたとき、素直に「声豚に媚びている」と思った。今や世は大女性向けソシャゲ乱立時代。他と差をつけつつ、売れ筋の人気ソシャゲに倣いつつ、損害を抑え、できればグッズ化、アニメ化、舞台化でもあたり骨太なゲームに育っていくゲームを作り上げたい。そんな業者達の心の声がきこえてくるような時代だ。その時代真っ只中に「声優」て。とおもった。多くの女性向けソシャゲのキャラクターには、もちろんCVというものが存在する。この大女性向けソシャゲ乱立時代に声優はなくてはならない大切な職業だ。だが「声優」て。モチーフとして地味だし、釣れる人も結構限定的じゃないか?とすらおもった。だがやらないわけにはいかなかった。なぜなら推し声優くんがでているから。(ほら声豚だから…。)

結論から言う。死ぬほどおもしろかった。

世界一、声豚に、いや、「私」に理解がある世界がそこには広がっていた。

on-air-coly.com

オンエア!はキャラクターの関係性や個々の人間性の掘り下げ、現実における我々声優ファンの苦しさや辛さ、それを上回る楽しさを正確に理解してくれていた。もちろん理解をしているだけではなくそれを高い完成度をもったストーリーとして提供してくれている。現在、多岐にわたっている声優業に加え、高校生ならではの学校行事や季節行事を、リアリティーを持たせつつ、夢のように素敵な話として提示することがオンエア!以外にできるだろうか?いやできない(反語)。

とあるユニットストーリーには「声優ファンの気持ち」への理解度の高さに人生一感動させられた。オンエア!には主人公といえばいいのかヒロインといえばいいのかわからないが、プレイヤーが自由に名前を登録できる女性キャラクターがいる。申し訳ないがその子には一切感情移入ができなかったのだが、オンエア!の世界に存在する「声優ファン」たちは私そのものだった。推していない声優には一切配慮をしないSNSへの書き込みをする傍ら、推している声優にはラジオに愛のこもったメッセージを送っている。声優よりも作品を愛しているファンの姿もあった。この声優に自分の大切なキャラクターを演じられることに不安を抱いていることを隠しもしない。そのうえ声優達は学生ゆえか頻繁にエゴサをし、それにかなり傷つけられたりしているのだ。それはつまり「私」が「彼ら」を傷つけた、ということになる。(私は鍵なしでそんなことしないけど)私の世界とゲームの中の世界が繋がったのだ。

仕事や仕事外でのこと、友人間の感情に関して、共感をするところもあり傷つけられるところもありで、本当にオンエア!は現実に生きる人間の観察が鋭すぎる。(物語の攻撃力の高さというものを愛しているので「傷つけられる」というのはとても好意的な意味です。)仕事中、大人に怒られているところをクラスメイトや後輩に見守られているしんどさといったらないだろう。なぜそんなシナリオをかくんだ。胃がキュッとするだろうが。

こういうオンエア!のリアルを一生愛し続けたい。なぜか。きっと理解されたことが嬉しかったのだ。だってオンエア!の声優たちはそんなファンにも優しい。そんなファンの言葉で傷ついていてもなお「でも彼女達にとってはそれが大事なことだったのだ」と言ってくれる。本当に涙がでるほど嬉しい。なので応援する。ずっと。とりあえずユニットCD売ってください。たくさん買って配るので。

2019虚無

2019年は一度もここへかきこまなかったらしい。1年中キレすぎていて来る暇もなかったのかもしれない。でもクソくだらないbotはできた。これだ。

いっしょうけんめい (@isshowkenmei) | Twitter

自分が共感するためだけに過去の自分の言葉をまとめただけだが、恐ろしいくらいに共感できた。当たり前だ。一生懸命で好感ももてる。いいかんじだ。

推しが売れている。

推しが売れている。

いや、わからない。売れているのか、売れてきているのか、売り出されているのか。わからない。わからないけどとにかく推しの勢いがすごいのだ。もともとアニメなどのメインキャラに抜擢されることはあった。深夜アニメだけではなく子供をターゲットにしたアニメ番組のレギュラーもあった。ビッグネームすぎる映画の主役の吹き替えをしたこともあった。共演者が実力のある役者ばかりの、歴史ある作品のメインキャラクターも決まった。アプリゲームのセンターに決まった。小説が原作のアニメの主人公になった。からの某作品だ。わたしはここまで一人の人間の仕事をしっかりと追ったことはない。もともと宣伝を多くするタイプの推しではないので取りこぼしもあるだろうが、それでもできることならと拾えるだけは拾って、どんな些細な役でも、と見れるものは見て、人生を一緒に過ごさせてもらった。が、ステップアップがすごすぎる気がする。もう手放しで感動してしまう。手が震える。ただの一ファンだけど、一緒に喜んでもいいだろうか。こんなに嬉しいと思ってもいいだろうか。推しの見えない努力がすさまじくて、想像するだけで感情のダムが決壊する。役者仲間から誰よりも芝居に熱い、と話をきくことは数え切れないほどあった。でもファンはその姿をみることができない。ファンと役者はその結果だけの付き合いしかできない。自己語りが多くない人だから余計。でも明らかにあるときを境に今までしなかったような演技に立ち会うことがある。そんな声だせなかったでしょ?と思ってしまう声に出会うときがある。努力が、想いが見える。こちらの努力も想いも向こうには届いてないだろう。応援してるということは、好きであるという気持ちは彼には不要なようにおもえる。でも勝手に嬉しくなっていいだろうか。あなたの成長が、成功がまぶしくて、ありがたいです。

怒りと喪失感の忘却

自ジャンル3度目となる大きなライブがおわった。今回は今までになく長いツアーで、終ったあとにはパーティーと称されたイベントも執り行われ、白目をむく思いをしながら私は6種類のチケットをすべて自分で手に入れた。その最中に2回お渡し会も開催され、それに参加するための権利も手に入れた。金銭的にも精神的にもかなり参る期間ではあったが、アニメという壁を乗り越え、想いが再熱した状態であったのも手伝い終わってみれてばほんとうにどれも素晴らしいステージであり、すべて本当に現場にいることができてよかったと、深く深くおもった。夢のような演出や、セトリ、挨拶、ときに地方の物販状況にイラつくこともあったがステージの上での出来事はどれも1秒たりとも忘れたくない事象のオンパレードであった。推しはまぎれもなく輝いていたし一生懸命役に取り組んでくれた。感謝の気持ちがあふれ洪水がなんども起きた。

だが、あのパーティーとは一体なんだったのだろう。DVDをDVDをDVDを積まされて勝ち取ったプラチナチケットだとは思いたくない。なんだったのだろう。私は何を応援して、何を愛していたのだろう。作品?キャラクター?声優?

それはまぎれもなく作品とキャラクターだったはずだ。でもそれにたいして真摯に取り組んでくれた声優を大好きになってしまったせいでどうしようもない感情を持て余している。彼らを悪くいいたくはない。でもそのプラチナチケットでみることができたのは声優が声優として参加していた、作品にあまり関係のない運動会だった。

その声優を好きだったからみることができてよかったという気持ち VS 作品への取り組み方、思い、現場での指示などそういう制作についての話をききたかった気持ち ファイッ


今ここに残っているのは、そのイベント中、我々ファンを金づるとしかみていないとわかった、ある男性のことは二度と応援したくはないという記憶だけだった。

ファンの不安

LINEニュースでとある地下アイドルのファンが孤独死をしてしまった、という記事をみかけた。私は実家に暮らしており、父、母、弟、犬、犬、結婚してでていったが週3で戻ってくる姉と暮らしているのだが、他人事とはとてもとても思えず墓参りの帰りの車のなかでよんだ。

ameblo.jp

私はそのファンのこともアイドルのことも何も知らなかったけどあまりの愛情の深さに言葉をなくしてしまった。やっていること(行動内容)はそのアイドルも「キモみがキモい」なんて言ってて、それは、確かに自分がやったらそう言ってしまう気持ちはわかるんだけど、絶対にキモいなんて思えるわけなくて、私はアイドルになったことはないし、ファンであったことしかないし、そうしたらファン目線での感情しかないからそんなの「死ぬほど嬉しい」にきまってる。もう亡くなっているんですけど。行動力があって、愛があって、客観的目線があって、元気で、意志が強くて、なんてかっこいい女の子なんだろう。そんな女の子を世界で一番大事と思えたことはその人にとってはとても幸福な10年だったとおもう。

私は私の人生を生きているのですぐ自分に置き換えて考えてしまうのだが、最近になって(と言ってもここ3年ほど前からだけど)、はじめて生きている推しができた。その人を表す言葉としては語弊があるけれど間違いなく私の大切なアイドルだ。推したくて推しはじめた人ではない。推せたらいいな、幸せだな、と思って近づいたら推しになっていた。私のアイドルではあるけれど世間にとってのアイドルではないのでファンサがいいわけではない。塩対応というわけでもない。接触イベントなどで会う推しは、普通に、少し人見知りの人が表面上にこやかに接して、会話を、というよりファンの言葉に耳をかたむけてくれている。いつも飄々としている風で、でもその実とても真面目な人だ。仕事に前向きで一生懸命やっているのはわかる。すごくわかる。だけど私はその人の行動動機がわからないでいる。ファンと接する場所やシチュエーションについてその人がそれから何かを得てくれているのかわからない。以前ステージ上で「成功しても失敗してもファンは喜んでくれるからそれに甘えちゃいけないと思う」と推しは言った。私は成功したら喜ぶし、失敗したら「あちゃ〜」と思っていたけど、もちろん本人にわかるように「あちゃ〜」と表現するわけではない。ファンは採点者ではない。推しが好きだから実力、出来、関係なく推しを愛することも勿論ある。私はその人が何かをするのに失敗しても失言をしても(今の所)かわらず好きでいるし、愛しているし大事だと思っている。その人の仕事は人気商売であるけれど、実力があれば人気は二の次ではないか、と思うこともある。人気があるからその人を起用するという上の人もいれば、実力があるから使いたいと思う上の人もいる世界だと勝手ながら想像している。私はその業界のことがわからないので、現状どういった思惑により推しが起用されることが多いのかすら見当がつかない。推しのことに関して、私は判断力がゲロニブなので実力がいかほどなのかが想像できないのだ。でも、なんとなくだけどその人は人気があるからではなく、実力で起用されたいと思っているのではないかと思っている。ていうか普通そうじゃないか、とも。人気にあやかれることはそれでいいけれど。そうすると、その人にとってファンは不要なのではないだろうか、と考えざるをえない。たまにファンの声こそが力になっていると、見ていてわかるタイプの人がいる。これは想像ではなく正しく理解できる。でも私の推しはそうでない気がする。そうするとファンサービスの一環の接触イベントやトークショー、そういったことは本当は私の推しの思うところの仕事ではないのではないか。それこそ上の人から私たちへのファンサービスなのではないだろうか、どうだろうか。私は推しが望むところではないのなら、こういう仕事をそもそもやめてほしいとは思うが、きっとそうはいかないのはわかっている。フリーでやっているわけではないし、あぐらをかけるほどの人気でもないし。そして浅ましくも自分が推しに会えるのなら、と何としてもの気概で出向いてしまう。推しにとってこういった仕事をせざるを得なくさせる私というファンの存在は一体なんだろう。邪魔なものだろうか。わずらわしいものだろうか。金だけを落としていればいいだろうか。


気づいていないだけでこんなことを考えていたのか。私は。きついものがある。だからきっと前述した地下アイドルの行動と言葉が刺さってしまって今少し抜け殻のようになっているのだ。

ファンがファンでいることが私にとってはとても不安だ。あんなにアイドルに肯定してもらえているファンがうらやましい。どうか、どうかアイドルに求められずともいないほうがいいと疎まれるファンではありたくない。と思う。

またやられた。

某ジャンルと某ジャンルのコラボ企画の画像をみた。某3rdライブ公演に行った人がSNSにあげていた写真を見たときはどうか嘘であってくれと思ったが、先ほど公式よりアナウンスがありそちらの画像がアップされ、それが現実のこととようやく理解した。悲しくて悲しくて仕方がなかった。私の大好きで大切で世界一格好いいアイドルが、ああいった気色の悪い絵柄や衣装でおもしろおかしく、笑いをとるために利用されたのだと感じた。4年間、がんばっている彼らを応援してきてこんな嫌な仕事ははじめてだ。悔しくて苦しくて本当につらい。発表してしまった限り、取り消す、変更することは難しいことだとはおもう。企画会議なども重ね、某企業自体も許可を出したのだろう。私にとってはもう何があっても目にいれたくないイラストだが、こちらをなかったことにできないことは理解している。だから、本当にただひとりのファンの意見ではあるが、もし次があるのなら、私の大切なアイドルを格好良くつかってあげてほしい。彼らはキャラクターであり、意思が表現できない。拒否することが彼ら自身にはできない。私はあの仕事が彼らにとって『いい仕事』であると決して思えない。今後、彼らが「某企業と気持ち悪いコラボをしてたアイドルユニット」とわけ知り顔で他人に言われてしまうことが耐えられない。そういった意見が自分に入ってこないように自衛はするが、すでに他ユニットを担当にもつファンからは「うちじゃなくてよかった」など言われてしまっている。私も本当に何度だってうちじゃなければよかったのにと思った。取り消してもらえるなら本当に即刻取りやめてほしい。かなわなくても意見を送らずにはいられなかった。以上です。今後某企業の商品は一切購入したくない。

 

それもこれも全てアニメ化のせいだ。

自ジャンルのアニメ化を憂う

先日、自ジャンルでライブがあった。そのライブのチケットを取るために何百とCDを買い、シリアルを打ち込み、あれをして、これをして、それをして、言ってしまえば金と熱をこれでもかとかけてのぞんだ私の人生の一大イベントだ。ライブはものすごい楽しくて幸せな時間だったけど、アンコール直後という最高潮に盛り上がるタイミングで、そのジャンルのアニメ化の発表があった。私は自ジャンルのアニメ化を世界最大悪と捉えるタイプの人間で本当に本当に本当にものすごーーーーーく、嫌で、そのときの会場の割れんばかりの歓声とかその後のツイッターの盛り上がりとか、すべてにおいて何が何やら、というほど放心してしまい、そこから現実にようやく戻ってきた今、ただ生きるのがつらい。

私はアニメ嫌いでも声優嫌いでもないが、ただ唯一自ジャンルのアニメ化だけを憎むタイプのオタクで、その理由はジャンルがアニメ化した途端ジャンルがかつてない程盛り上がり175が湧き、そして1年足らずで捨てられたり、アニメが原作ではない新たな設定を生み、アニメスタッフや声の大きいオタクによる新たな蔑称でキャラクターが呼ばれたり、まるでアニメが原作で神で正義のような扱われ方をするのが嫌だ。それは別人だからだ。本人ではないからだ。でもやっぱり自ジャンルと自担のことは好きで地面に頭を打ち付けてしまう。とある中の人の「みんなの声きこえたよ!アニメがんばるね!」という言葉の『みんな』の中に私の声は含まれていないのだ。私は自分の狭量さに自分が傷つけられている自覚があるのに、改善できず、まるで自分を大切にできてないようだった。